AO FILED RECORDING GUIDE-4
さて暑い日が続いています。みなさん夏バテとか大丈夫ですか?うなぎでも食べて頑張って下さい!!
夏になると必ず思い出します。奈良の夏。映画で一ヶ月半住んでいた奈良。御盆の蝋燭の光や大文字焼き、暑いけど静かな奈良の街の夜。撮影に行ったのか、夏休みに行った時に撮影をしたのか、定かではない記憶。強烈な思い出というのはなかなか忘れられないものです。今回はそんな3年前の奈良でのお話、そしてfoeld録音といったらこの人、“時田和之さん”の秘話その1をお送りいたします。
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1、あの夏の日
2006年の7月15日、映画”殯の森”の撮影が始まった。撮影以前に現場には2回行った。監督の河瀬直美さんは、その前の映画”沙羅双樹”の音楽録音でお世話になっていた。このending themeは最初からフィールドで録音したいという話しで、内容は“UAが若草山でアカペラで唄う”言うものだった。UAのrecordingのengineerのZAKさんから連絡が有り、フィールドレコーディングならAOさんが得意だから、ということで私が担当させて頂いた。この話は色々と面白すぎるエピソードがあるので、来月詳しくお話します。と言うことで、次の映画の撮影には絶対呼んで欲しいと私から何度もラブコールをしていたので、決まった時は大喜びだった。ただ問題が一つあった。撮影は一ヶ月半、すべて奈良で撮影をする、ということだった・・・。
何が問題かというと、私は泊まりがとっても苦手であることだ。つまり、なるべくなら自分の家にいたい人、ということになる。たまたまCM撮影で地方ロケなどに出る事も有るが、せいぜい1〜2日程度。家から離れる事に慣れていなかった。そんなこともあり、最初は恥ずかしながらお断りをしようと監督に相談した。その結果、知り合いの家を借りる事が出来、まるで家にいるような感覚で毎日撮影に行けるようになった。私の妻も毎週一回は藤沢から来てくれて、精神的にも安定して録音に集中できた。
このお家は春日大社の近くの高畑というところにあり、ものすごく静かな場所だった。毎朝セミの声に起される日々。冷房がちょっと壊れていて、暑いのを除けば最高の環境だった。ここに助手のR君と住む事になった。2階建ての家で部屋は幾つかあった。作曲家のSさんは、やはりこのお家が気に入って、ここに映画音楽のstudioを作る事になった。彼は7月中ずっと暑い部屋の中で作曲をした。
高畑から撮影場所の田原までは山道を約25分ほど走って着く。毎日、田原まではツーリングしているような感じだった。田原はとにかく綺麗な場所で、通勤が癒される行動だった。ときおり道を外れ鳥がいっぱい鳴くルートを選んだりして田原に行った。基本的には夜の撮影は限られていたので、山を下りる頃は綺麗な夕日を見ながらの快適な帰り道だった。田原から数分走ると奈良の街が全部見渡す事ができる場所に来る。この景色は一生忘れる事ができないくらい美しい!!そんなあの夏の日。
2、SEがいっぱい
撮影は始まった。前半はホームでの話、中盤は田原の山中、そして後半は夜の山中。私の仕事はもちろん同時録音だったが、カメラがBLという機種で、結構フィルムが回る音が大きく、色々と工夫して録音をしていた。なのでオンリー録音やアフレコの事も考え、空いている時間はsound effect録音に時間を沢山使う事にした。最初の1週間は実景撮影が多く、その間にいろんな場所をロケハンしつつ、可能なら録音をすることにした。カーナビを有効に使い”とり1””とり2”などとネーミングしていき、時間帯ごとにそこで鳴いている鳥の種類分けをしていった。池のほとりも有ったし、河の近くもあった。どのpointnも一様にまずは早朝に行ってみることにした。監督的にも作中に登場するグループホームの名前が”ほととぎす”だったので、この声はマストだった。
夜明け前は鳥は寝ているようだった。時間が経つにつれちょっとづつ起きてくる感じが分って来た。鳥も寝起きは眠いのだ。ちょっとづつ声がしてくる。いろんな鳥が少しづつ起きて来ているような音だ。明けはじめて20分くらいすると、大分ちゃんとした声が聞こえてくる。お目当てのホトトギスもしっかり鳴き始めた。空が白んで来はじめたらヒグラシが鳴き始めた。ヒグラシは夕方と決めていた私はかなりビックリしたが、これが朝の鳥のコーラスの最後。ヒグラシが終わると強烈なセミのコーラスが始まった。もう鳥の声は狙えない。ただ分った事は夏でもセミがないていない時間が存在する、ということだ。これはその後の録音に重要な発見であった。
3、SEが重要な現場だった
さて、撮影現場のグループホーム“ほととぎす”は田原の村の端に有ったが、近くには村を真直ぐ突っ切る県道が走っており、民家を改装したお家では音が筒抜けだった。なのでどんなシーンでも車の音が入ってくる。なのでこの音は最終mixの時にはかなり邪魔になることが想像できた。なので、朝、昼、晩、全てのシーンのベース音が必要だった。夏なので基本はセミの声になる。朝といっても日が出ていればセミは鳴いていた。田原は普通のアブラゼミの他、九州方面で鳴いているクマゼミも多く鳴いていた。高畑のお家では一本の木の幹に真っ黒になるほどセミがくっついていて無気味だった。そんな状況だからどこまでが同時録音で、どこまでがフィールド録音なのか判別できない程の世界だ。まぁそんな中でも撮影は順調に進んで行く。
私は時間が空いている限りSEを録音しまくった。撮影している間に必要な音を全部書き留めておき、それを撮影が無い時(実際はかなり少ないのだが)に録音しに行く。そんな録音屋的には至福の時を毎日過ごしていた。
撮影が中盤に入り、田原の山中を中心に撮影は行われてた。田原の豊かな自然の中での同時録音は本当にフィールド録音そのものであった。マイクは役者にピンマイクは必ず付けていて、メインはゼンハイザーMKH-415改を使っていた。更に状況に応じてはNEUMANNの191sも併用していた。山の中は殆どこのスタイルが中心で、常に5chの録音がされていた。
レコーダーはFOSTEXのPD-6(6CH DVD/HDポータブルレコーダー)。説明をするのを忘れていたが、撮影が終わるとフィルムはすぐに大阪のIMAGICAで現像が行われる。そのラッシュを即テレシネをして奈良に来ている編集の人にVideoとして渡される。編集の人はVideoをAvid Expressに取り込んで整理していく。私は撮影が終わるとその日の全素材をLogic pro7に1/1000処理をして(FT時のspeed偏差のため)取り込んで行く。これをWAVデータ化して編集の人に渡す日課となっていた。なので撮影が長ければ長い程この作業は朝まで続き、終わって起きるとすぐに撮影、という日々になっていった。音のDataはAvidに取り込まれ、直ぐに音合わせが行われ、仮編集に入って行く。そんな毎日。
山の中に入ると更に必要なSEは増えて行った。場所によってSEの響きも違うしセミの鳴き方もすこし違う。よってシーンの撮影が終わると数分間必ず録音した現場でSEと言うかAmbientを録音していくことになった。雨の日もあった。雨の降り方も一定ではないので、いろんなタイプの雨を録音しようとしたが、これについては撮影した時には降っていたが、さて、SEを録音しようとした時には上がってしまった・・・なんてことはザラだったので、できる限り同時にSEも録音した。
どんどん撮影が進んで行き、仮編集も進んで行くと、更に必要なSEの要求が監督からあった。「遠雷が欲しいなぁ〜奈良の」と言われた時にはクラクラ来た。ちょうど撮影が早めに終わった時の天気予報は“午後に雷”ということだった。「aoさん、今日はちょうどええなー。午後雷くるらしいで。よろしくな」と言われ撮影が終了した。私はこの頃になると(撮影始めて一ヶ月)だいたいSEが録音しやすい場所を把握していた。よって雷を、というか遠雷を録音するにはここだ、という場所を見つけていたので、直ぐにその場所に行くことにした。そこは山の上の神社の近くで、車で行くにはかなり狭い道を延々行かねばならない。撮影に入る直前に私は車を変えており、当然4WD仕様のノアなのだが、そのノアでもかなり厳しい道を上がった末にそのポイントに到着し、ここでじっと遠雷を待つ事にした。ひたすら待つ・・・待つ事約2時間半、ついに遠雷は聞こえて来た。今日はこの遠雷だけがポイント。本当に近付いてくれば雷となり大雨が降ってくる。大雨になると帰れない場所だったので、遠雷が近付いてくる時には山を降りていた。戻った頃監督から電話があり「よかったやろー」と言われた。
4、夏の音がいっぱい
撮影の間、夏の音を本当に沢山録音した。SEの録音の方法は基本は4ch Surroundで録音した。メインはNEUMANNの191sでサブにSANKENの指向性のマイクを2本使った。時折サブにはパラボラを使った。特に鳥の声を録音しにいった時はパラボラを手持ちでセットし、鳥が鳴いている方向に向けて録音した。森の中でヒグラシの大合唱も録音した。定位が美しいヒグラシの集団もありニコニコしながら録音した。森の中に吹く優しい風の音も録音した。この時録音した音は一枚のCDにすることになった。Kaeru cafeさんで出してくれた。Nile Blue Forest&River KACA0207がそれである。これは是非聞いてほしいです。奈良はSEの宝庫です。また住んでみたいな−。
特別企画?!
● 時田和之さんhistory-1
さてここからは先月からお話していたField Recordingの大家“時田和之さん”のお話をしたいと思います。
7月中旬にFOSTEXの佐藤さん、山口さんと私で時田邸まで取材に行ってきました。某所の民家に住んでいらっしゃる時田さん。普通の民家とは思えないほど機材がいっぱいあるんです!普段聞いているシステムは2つあり、一つはタンノイのsuper red monitorとマッキントッシュのMCシリーズのリイシュウモデル、といっても新しいMCシリーズと言っても良いもの。これになんだか訳の分らないほど高いCD playerをつなげて聞いている。いやーその音たるや凄いもの。空間の再現性がびっくりでした。もうひとつは某スタジオにあったというSony製の巨大スピーカー。これをAmcromのアンプで鳴らしている。こっちはけっこう派手な音。まあどちらも高そうだ。が、知り合いを通じて譲り受けたものらしい。ただ譲り受けたといっても、置きかたとかはしっかり考えられていて、そのスピーカーがしっかりなるように考えられているのが凄い。他にも色々なマイクもあった。
時田さんは私が音響ハウスに入社した時にSE屋さんと言うことでお仕事を一緒にしていた。お父様はとてつもないオーディオマニアだったらしく、同じ土壌では絶対にかなわない、と言うことで、お父さんが聞く、つまりソースを制作する仕事を目指したという。元々電気系の学校に行っていた時田さんは、ふとした切っ掛けで録音ミクサーの若林さんを知る。彼はNEUMANNのSM69という真空管マイクを使いMS方式でクラシックを録音していた。そこで録音される音にとても興味をいだいたとのこと。その後にそういう仕事をするためにイイノホールで仕事を始めた。もちろん最初はアシスタントだが、彼は色々なミキサーのマイクの立て方や角度をしっかり覚えて行ったらしい。もちろん手本になったのは若林さん。彼のスタイルを見て聞いて覚えて行った。その後イイノホールのハウスエンジニアの方が会社を作ることになり、その会社に参加。色々なホールに出張しては録音をする日々が続く。
つまり時田さんのフィールド録音の原点はクラシックのステレオ一発録音だった。
当時はポップスの録音もあったらしく、ここでいろんな楽器に対するマイキングを覚えたと言う。この当時のマイクはNEUMANNの47tubeやTELEFUNKENの49bなどのTubeマイクが主流。いま考えると本当に贅沢な感じがするが、当時はこれしかなかったらしい。基本は2chダイレクト録音。アナログの録音機はAMPEX350という可搬型のもの。STUDERでも62というものがあったらしいが重かったのでAMPEXが採用されたらしい。この後AMPEXは名器440を生む。当時は2chと4ch仕様があったようだ。
ミキサーは現在のような縦フェーダーが付いたレコーディング卓は無かったらしい。なのでAMPEXの4chのロータリーフェーダー付のミキサーを楽器分スタックしていって使ったようだ。1965年頃の話なので当然真空管。きっとEQも使わずマイキングのみのミックス。そうとう音は良かっただろうな−。使用した6mmのテープは海外製が主流でAMPEX,AGFAなどが使われていたようだ。このような仕事を数年行っていたらしい。時田さんの原点はなんと音楽録音だったようだ。この時にいろんなマイクの特性等を把握していった時田さん。その後はアサヒソノラマに就職。ここからは今のフィールドレコーディングの元となる仕事が始まったのだ。と言うことで今月はイントロのみを御紹介。来月は当時だれでもあこがれたSLの録音のお話等を御紹介します。